第一の問いに対して、四人の裁判官は全員、自らの在職期間中、当事者の申請により人民参審員制度を利用して事件を裁判した経験はないといった。インタビューの対象は政治部の叢裁判官一名である。第二の問いについて、あらゆる事件の裁判について、主審裁判官が責任を負い、厳密にチェックするので、人民参審員の参加した場合でも、参加しなかった場合でも、違いがないと李裁判官と楊裁判官は述べた。......
2023-08-14
新中国建立後、人民参審員制度は法律や法的効力を持する通達などを制定することによって新中国司法制度の中に重要な制度の一つとして確立された。
この時期において、人民参審員制度を明記した法律は、1951年9月4日に公布された「人民法院の組織に関する暫定条例」(原語は〔中華人民共和国人民法院暫行組織条例〕、以下、「暫定組織条例」と略す。1987年11月24日に失効)および1954年9月20日に採択された「中華人民共和国憲法」(原語はそのままで、以下、「54憲法」と略す。1975年1月17日に失効)、1954年9月21日採択された「中華人民共和国人民法院組織法」(原語がそのままで、以下、「54組織法」と略す。1980年1月1日に失効)である。
以上の法律にある制度に関わる条文の数とその内容は、それぞれ違う。「暫定組織条例」は建国後初めて人民参審員制度の実施を規定した法律として、その第6条のみをもって、「人民の裁判への参加を容易にするため、人民法院は事件の性質をみて、裁判で人民参審員制度を実行すべきである。人民参審員は担当している事件について、調査に協力し、裁判に参加し、意見を提出する権限を有する」と規定し、人民参審員の権限だけを明言した。「54憲法」には人民参審員制度に言及した条文は、「人民法院は法律に従い、人民参審員制度で裁判を行う」と定めた第75条しかないが、これによって人民参審員制度が憲法原則として位置付けられた。
この二つの法律と比べて、やや詳細に制度の具体的規定を置いたのが「54組織法」である。まず、制度の対象事件について、「54組織法」第8条は「人民法院は人民参審員制度で第一審裁判を行う。しかし、簡単な民事事件、軽微な刑事事件と法律に別段の規定がある場合を除く。」と規定していた。それによって民事、刑事または行政をとわず、第一審事件の裁判は原則として人民参審員制度で行うようになった。
そして、合議体の構成について、同法の第9条によれば、人民参審員制度で第一審事件を裁判する場合、裁判官と人民参審員から構成される合議体が担当することと裁判官が合議体の主審裁判官であることが定められた。また、人民参審員の資格について、「54組織法」第35条によれば、人民参審員として選ばれる者は23歳以上、選挙権と被選挙権を持っている公民であらなければならない。第36条は、人民参審員が裁判官と同じ権限を持することを規定していた。そして、人民参審員制度の義務、手当について、第37条に基づき人民参審員は人民法院が知らせた裁判時間によって、人民法院に着いて裁判職務を履行しなければならない義務があること、裁判に参加する間に、人民参審員は元の職場から給料を支払われ、もしそもそも給料がない場合、人民法院から適当な手当を支払われることが定められていた。また、人民参審員の選任について、「54組織法」第35条第二項に基づき、各級人民法院における人民参審員の定員、任期と選任方法が司法部により別に規定されていた。
したがって、司法部は1956年7月21日に「54組織法」第35条第二項を法的根拠として「人民参審員の定員、任期と選任方法に関する指示」(原語は、〔司法部人民陪審員的名額、任期和産生弁法的指示〕、以下、「56司法部指示」。)という規則を制定した。そして、最高人民法院は、1963年2月21日に、「基層の普通選挙とともに人民参審員を選挙することに関する通知」(原語は〔最高人民法院関与結合基層普選選挙人民陪審員的通知〕、失効した時期不明、以下「63最高院選任通知」)という通達を公布した。この二つの法的効力がある規則と通達の内容は、「①原則として1人の裁判官に2人の人民陪審員を配備する。②人民陪審員の任期は2年とするが、再任を妨げない。③人民陪審員の職務執行期間は一般的に毎年10日を超えないが、参加する事件の審理がなおいまだ完了せず、また必ず元の人民陪審員が参加しなければならない場合、酌量して延長できる。④基層人民法院の人民陪審員は住民の直接選挙かまたは基層人民代表大会の選挙によって選出される。⑤中級人民法院の人民陪審員は、同級人民代表大会の選挙によって選出することができ、相応する機関、人民団体、企業の職員の中から推薦によって選出することもできる。⑥高級人民法院の人民陪審員は相応する機関、人民団体、企業の職員の中から推薦によって選出される。⑦高級人民法院と中級人民法院の人民陪審員は臨時招請の方法によって選出することもできる」[19]と帰納される。
注意すべき点は、以上の法律や規則などには、この時期における人民参審員が参加した合議体の構成員の人数と割合、評議方法に関する条文は存在しなかったということである。1979年7月1日に中国初の訴訟法である刑事訴訟法を制定するまで、この状況は続けられていた。
1957年5月18日、1962年8月31日、1963年3月1日、1963年3月13日、1963年4月1日、1963年4月10日に、「中華人民共和国刑事訴訟法の草案」[20](原語は〔中華人民共和国刑事訴訟法草案〕、以下「刑訴法草案」と略す)は順次に提出されていた。その草案には、合議体の構成、評議方法に関する条文が定められた。60年代にわたる政治運動のために、これらの草案は、どれも法律にはなっていなかったが、その中にある合議体に関する内容を整理することによって、当時の立法者の考え方を明らかにするのに有益であると思われる。
まず、合議体の構成員の人数と比率については、1957年5月18日の「刑訴法草案」は、1962年8月31日の草案、1963年3月1日のと同じ、地方各級人民法院は第一審事件を裁判するにあたり、法による独任制の裁判の場合を除き、裁判官1人と人民参審員2人からなる合議体を構成し、裁判官を主審裁判長に任命すること、及び最高人民法院は第一審事件を裁判する場合、裁判官3人と人民参審員2人または4人から合議体を構成することを規定した。その後の三つの草案は、最高人民法院における人民参審員が参加する合議体の内容を削除し、各級人民法院は第一審事件を裁判するにあたり、法による独任制の裁判の場合を除き、裁判官1人と人民参審員2人による合議体を構成し、裁判官を主審裁判長に任命することを定めた。
この二つの法案は、どちらも地方レベルの人民法院で行う人民参審員が参加する裁判の場合、裁判官1人と人民参審員2人からなる合議体の形態を採った。違うのは、最高人民法院における合議体の構成について、前者は裁判官3人、人民参審員2人か4人を主張したのに対して、後者は、裁判官1人、人民参審員2人を採用した。前者の理由について、1957年7月、1957年の「刑訴法草案」を提出した当時の最高人民法院の〔党組〕[21]は「最高人民法院が管轄する第一審事件はすべて全国に影響を与える特段に重大な事件、しかも、下した判決や裁定は終審のもので、慎重に取扱われるべきである。したがって、最高人民法院で行う第一審事件の合議体は少なくとも3人の裁判官が配置されるべきだと思う。人民参審員の人数については、民主主義原則に適うために人民参審員の人数を裁判官より多くしなければならないと主張している者がいるが、法律にそのような強制的規定がないので、人民参審員の数が必ずしも裁判官より多くない」[22]と述べた。後者の理由について、「最高人民法院が受理した第一審事件は、成立から現在まで人民参審員制度で裁判を行ったことがない。しかも、この事件の大部分は特殊な事件で、判決が終審的である。したがって、最高人民法院で人民参審員制度を実施することは意味がなく、人民参審員の選任も容易ではない」[23]ということが挙げられた。
合議体の評議手続と評決方法については、1957年「刑訴法草案」第33条と第34条によって評議は公開ではなく、主審裁判長の指導に従い行われ、人民参審員が最初に発言し、評決の時、合議体の構成員が評決権を放棄せずに、多数決で裁判の結果を決定し、もしも重大かつ複雑な事件の場合、多数意見を得られなければ、裁判長へ裁判委員会の判断を求めようと提出し、裁判委員会の判断結果を執行しなければならないという方式が定められた。その後、1962年8月31日の草案と1963年3月1日の草案は、前の草案にある合議体の構成員の発言順序を削除し、他の内容は保った。これに継いで、1963年3月13日の草案と1963年4月1日の草案、1963年4月10日の草案は合議体が多数決で評決し、多数決を得られない場合、裁判長へ裁判委員会の判断を求めようと提出し、裁判委員会の判断結果を執行しなければならないという内容を同じく規定した。したがって、最後の草案は、最初の草案に規定された主審裁判官が合議体の指導者であること及び合議体の構成員の発言順序の内容を捨てて、法律上、合議体の構成員全員へ平等な立場を与え、評議において自由な発言を促すようとする案を採ったといえよう。残念ながら、この草案は直ちに登場した政治運動のために、結局法律として制定されなかった。その後、1979年7月1日に中華人民共和国初の刑事訴訟法が制定されるまで、刑事訴訟法だけではなく、民事訴訟法と行政訴訟法とも、建国から約30年ぐらい存在しないままであった。しかも、1966年から始まった10年間に及ぶ文化大革命において、法や司法制度全体が壊滅的な破壊を受けたため、司法の一制度にすぎない人民参審員制度はもはや存在の土台を失ってしまったと考えられている[24]。
以上はこの時期における人民参審員制度の法律とそれに関わる立法活動を概観するものである[25]。総じて見ると、この時期における制度の法整備は新中国建立前より一層進歩し、人民参審員制度を憲法により基本的司法制度として確立し、制度の対象事件、人民参審員の資格、選任、権限及び義務、手当など制度の基本的内容を定めたが、合議体の構成と評決·評議については何の法的規則も制定されなかったので、まだ不十分だと思われる。
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第一の問いに対して、四人の裁判官は全員、自らの在職期間中、当事者の申請により人民参審員制度を利用して事件を裁判した経験はないといった。インタビューの対象は政治部の叢裁判官一名である。第二の問いについて、あらゆる事件の裁判について、主審裁判官が責任を負い、厳密にチェックするので、人民参審員の参加した場合でも、参加しなかった場合でも、違いがないと李裁判官と楊裁判官は述べた。......
2023-08-14
人民参審員の参加する合議体の構成を定めている条文は決定第3条しかない。なお、人民参審員と合議体のその他の成員との意見が分かれた時、人民参審員の意見を評議の記録に記入し、また、人民参審員が当該事件の裁判委員会による検討決定が必要だと思った場合、人民法院の院長に事件の裁判委員会への付議を要求するよう届け出、かつ、その理由を説明し、それを評議の記録に残さなければならない。......
2023-08-14
修士号を取った人民参審員は1人だけであり、人民参審員に占める割合は僅かに3.57%である。XJ市と同様に、QX市もまた男性の人民参審員が女性よりも多くなっている。人民参審員の81%を占める女性の職業はその殆どがMH市の市レベルから鎮レベルまでの各婦女聯合会の長である主席、副主席であった。湖北省に存在する三つの基層人民法院の人民参審員の属性は上述のとおりである。......
2023-08-14
それとともに、裁判制度に関する法整備も行われていた。つまり、裁判体は、原則的には、裁判官1人と人民参審員2人で構成される合議体であり、裁判官が裁判長になる。以上は、1931年から1937年までの約7年にわたって中華ソビエト共和国における人民参審員制度の基本構造である。......
2023-08-14
このような裁判体は人民参審員制度の一種の特殊な形態であると思われる。以上の論述で建国前の人民参審員制度の概観を明らかにさせた。この時期における人民参審員制度は、中国共産党の大路線を理念として、多数の国民を革命に参加させようと動員する政治宣伝の機能を発揮していたと指摘されている[18]。......
2023-08-14
人民参審員の選任資格について、決定第4条と実施意見第2条は、それを定めている。人民参審員を選任する前、裁判に要する人民参審員の人数を算定しなければならない。表3.4選任手続まずは、人民参審員の推薦または自薦である。最後は、任命された人民参審員の名簿を社会に公布することである。......
2023-08-14
2010年5 月、呉中区基層人民法院が人民参審員制度を実施する先進的な人民法院として選出され、当該人民法院で制度を用する方式が呉中モデルと称され、当時の最高人民法院院長である王勝俊によって高く評価された。呉中規程は全部で45条あり、その大部分の条文が現行制度を規定している決定と最高人民法院が制定した内部文書の内容を踏襲するものであるが、一部の条文は呉中モデル特有のものとなっている。......
2023-08-14
日本では改革後の人民参審員制度に関する研究が盛んではない中で、2012年の葉陵陵「市民の裁判参加に関する比較的考察(3·完):アメリカ、日本及び中国を中心に」[20]および2013年の徐行中国における市民の司法参加システム——人民参審員制度[21]は人民参審員制度の理念·内容·現実を総合的に論じている希少な先行研究である。......
2023-08-14
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