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人民陪审员制度改革:理念和实践的综合考察

【摘要】:日本では改革後の人民参審員制度に関する研究が盛んではない中で、2012年の葉陵陵「市民の裁判参加に関する比較的考察(3·完):アメリカ、日本及び中国を中心に」[20]および2013年の徐行中国における市民の司法参加システム——人民参審員制度[21]は人民参審員制度の理念·内容·現実を総合的に論じている希少な先行研究である。

日本では改革後の人民参審員制度に関する研究が盛んではない中で、2012年の葉陵陵「市民の裁判参加に関する比較的考察(3·完):アメリカ、日本及び中国を中心に」[20]および2013年の徐行「中国における市民の司法参加システム——人民参審員制度」[21]は人民参審員制度の理念·内容·現実を総合的に論じている希少な先行研究である。

葉は論文の中で、まず中国における市民の裁判参加制度、つまり、人民参審員制度の歴史を紹介し、制度の基にある根本的な理念が「人民司法」だと主張した。今度の制度改革の理念をめぐる考察を行う本稿にとって、それは有益な示唆だと思われるが、葉論文にはそれに関する更なる説明は一切存在しない。葉論文は新中国建国後、人民参審員制度を確立する社会的基礎と意義を論じる時、「最高人民法院活動報告(1951年度)」にある「人民の司法活動は、人民に頼り、人民の便宜を図り、人民に奉仕する仕事である。人民司法に携わる者は全身全霊で人民に奉仕すべきである。したがって、大衆路線は人民司法活動の基本的な問題の一つであり、人民陪審はその具体的な現れである。」(4頁)という内容を引用したが、したがって「人民司法」を人民に頼り、人民の便宜を図り、人民に奉仕する司法だと解しても相変わらず理解不能のままである。本稿の第一章の議論をもって、その概念を解明してみたい。

また、葉論文は改革の経緯を紹介するところ、制度改革の里程標とされる「決定」の登場の意義について、当時の最高人民法院の院長である肖揚(2004年)と副院長である沈徳詠(2007年)の制度改革に関する発言をまとめて、「その公布と実施は、社会主義民主政治の新たな発展、社会主義法治国家建設の必然的な帰結、優れた司法伝統の発揚、『司法の民主』の実現、『司法の公正』の促進、『司法の廉潔』の保証、『司法の権威』の増強、そして司法制度改革を推進する新たな出発点を意味している」(9頁)と主張した。本稿で制度改革の理念を解明するのに、「決定」の意義を分析することは不可欠であると思う。しかし、葉の論文におけるその意義に関する執筆はそれだけに止まってしまった。社会主義民主政治および優れた司法伝統が何か、どのように発展し、発揚しているのか、そして、司法民主の実現、司法公正の促進、司法廉潔の保証、司法権威の増強がどのように制度改革により、行われているのかは、葉論文は検討していない。本稿の課題を解明できれば、これらの問題にも答えられると思われる。

葉論文は、歴史を論じた後、現行人民参審員制度の対象事件範囲、人民参審員の選任手続、人民参審員の権利·義務と裁判参加意識、合議体の構成と評議、人民参審員への管理監督という五つの方面に関する法律規定を紹介し、現状を踏まえてその問題点と今後の課題を指摘した点で、示唆に富むものである。ただし、葉の論述には以下のような不足が存在していると思われる。①制度の実施現状を論じるのに、使う資料は量が少ないどころか、概ねインターネットに掲載された他者の調査結果と論文などの真実性が保証できないセカンド·ハンド資料である。②制度改革の将来の方向を図る重要な指標と考えられる2010年から最高人民法院が全国で推し進める「呉中モデル」に関する論述はたった一頁の紹介にとどまっているため、非常に不十分であると思われる。以上の不足①と②に関しては、本稿は第四章をもってその二点を補う。③葉論文のタイトルに「比較的考察」という言葉が付いているが、三カ国の制度を比較して、分析する内容が殆ど存在していないので、その論文が名実伴わないものであると感じざるをえない。つまり、三カ国の各制度の間にどのような違いがあるのか、その違いが生じる原因が何かは、解明されていない。

徐は、論文の本稿で制度の沿革と現行制度の内容を概説した。それから、徐論文のⅣは制度の運用実態を論じながら、運用上の問題点を指摘した。最後に、徐は人民参審員制度に関する改革の背後にある理念と制度設計、実際の運用との間に「ずれ」、ひいては矛盾が存在することを結論として指摘した。

しかし、改革後の人民参審員制度が如何に役割を果たしているのかについて徐論文は展開していないのである。しかも、徐論文に使われた現地調査の資料は上海市の基層人民法院の人民参審員の男女別、学歴構成、身分に関するものしかないため、その結論を得るのに十分とまでは言えないと思われる。そこで、本書は第4章と第5章をもって上述の徐論文の不足を補い、その未だに究明されていない疑問に解答を与えてみたいと思う。